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被災者に聞きました。「私が防災ゆうストレージを使うとしたら」

Vol.1
渡邉 洋子さん

あるもので工夫してしのいだ
被災生活

家はまるごと流され、公民館へ避難

宮城県七ヶ浜町の花渕浜というところで被災しました。当時は、七ヶ浜町役場の中央公民館の老人福祉センター「浜風」で非常勤をしていたのですが、送迎バスで利用者の方々をお風呂や将棋に連れて行った帰りに震災に遭遇。バスに残っていた高齢者の方々を高台にある自宅に送り、私は公民館に戻り、そこで避難所のお手伝いをしながら100日間過ごしました。自宅は菖蒲田浜にあったのですが、津波でまるごと流されてしまいました。小さな頃から「津波がきたら家には戻らず高台に避難しなさい」と教えられていたので、そのまま戻らなかったのですが、戻ったら津波に飲み込まれていたでしょうね。家には、夫からもらった指輪を置いてきてしまったり、ちょうど甥っ子の大学の入学金を引き出してタンスに入れていたりしたのですが、それもすべて流されてしまいました。

高齢者はポータブルトイレが使えない

公民館では、チームを編成して、協力しながら過ごしていたのですが、一番困ったことと言えば、トイレ。防火水槽が壊れてしまい、しばらくトイレが使えない状態になってしまったのです。普通の方はポータブルトイレを使うのですが、高齢者はそういう低いところに腰をかけると、再び立ち上がることが難しいのです。それで、水が流れなくなったセンターのトイレに、ビニール袋を広げ、凝固剤と新聞紙を切り刻んだものを入れて使いました。凝固剤はポータブルトイレとセットで売っているものなのですが、凝固剤だけたくさんあるとよかったですね。あと新聞紙は防寒にも敷物にも使えますし、洋服や靴の代わりにもなりました。

そうやって、あるものを工夫して使っていくということが非常に多くて、おむつやリハビリパンツは高齢者がいたので大量に必要だったのですが、若い人でもトイレが使えないときに使えたし、暑い日に冷蔵庫で冷やしてから履くと暑さ対策になったり、女性の生理用ナプキンの代用にもなったり、なにかと便利でした。
また、お風呂にはなかなか入れなかったので、肌につけるものや、体を拭くものは必要でした。3日くらいで物資は届くのですが、避難所では不公平になってはいけないので、500人いると500個同じものを用意しないと配布できないのです。だから、いま防災ゆうストレージを使うとしたら、普段使っている化粧水などは入れておくといいと思います。栄養が足りなくて、だんだん肌が荒れたり、口内炎ができたりしてきて、ビタミン剤をもらって飲むこともありました。

コットン、毛抜き、縫い針。意外なものが必要に。

私はちょっと看護の知識もあったので、避難所で怪我をしたり足が折れた人の応急処置を手伝うこともありました。そんなとき、必要だったのは消毒液です。いまはコロナもあっていろんなところに消毒液が置いてありますが、あの頃はそんなになかったので。
女性は、普段使っている化粧用コットンも入れておくといいと思います。コットンと養生テープがあれば止血にも使えます。ガムテープで巻くと硬くて痛いけど、養生テープだと痛くないんですよ。それから、サランラップは止血にも使えるし、発泡スチロールに巻けばお皿としても使えますね。
壊れてしまった家を探索に行く方も多くて、足の裏に瓦礫や釘が刺さってしまう方などもいたので、毛抜きが非常に役に立ちました小さいスパナのようなものもあると便利だと思います。あと、爪切りとか、縫い針とか、細々したものがわりと必要になるんですよ。時期にもよりますが、虫刺されの薬とか。あと、欲しかったのは、縫い針ですね。被災したときに崖から落ちてジャンパーが壊れてしまった高齢者の方などもいて、それを縫ってあげられる針と糸がなかったんです。他の洋服に着替えても「あの服をどこへやった」という高齢者の方々もいるので、破れてしまった服でも、捨てないで返してあげたい。そんなとき縫い針があれば繕えるのにと思いました。

元気になるものを入れておくといい

「大切なものエスケープ」の方には、アルバムとか、小さい頃の写真なんか入れておくべきかなと思いますね。水に濡れると写真は溶けてしまったりするので。親と撮った写真なども全部流されてなくなってしまいました。必要なものはたくさんあるんですけれど、避難所はストレスも溜まるので、開けた時に楽しいものとか、元気になれるものも入れておくといいと思います。

Vol.2
渡辺 裕伸さん

家は大規模半壊。
ブルーシートにくるまった夜。

雪の季節でなくてよかった。

2004年10月、新潟県で中越地震を経験しました。震源地だった川口町に住んでいた私は、消防職員をしていたのですが、たまたまその日は非番で、自宅で被災しました。被災直後は、すぐに出勤して救助活動をしたので、そのまま10日間自宅に帰れませんでした。家族は無事で、命に関わる被害はありませんでしたが、自宅も、周りの家々も90%くらいが「大規模半壊」という状態。豪雪地帯なのでもともと上からの圧力に対して強い構造の建物が多く、一気に崩壊せずにすんだんですね。道もだいぶ壊れたりしていました。直後は、お年寄りのゲートボール場に近隣住民が避難していたのですが、夜は冷え込んだので、お年寄りや子どもにはキャンプのテントに入ってもらったり、ブルーシートにくるまって夜の寒さを凌ぎました。そのまま地域の小学校で、約40日間の避難生活を強いられたのですが、食べ物に関しては、集まった集落でほとんど自給自足できました。地域的に畑が多いし、芋などの保存食が収穫された後だったので、季節的にはラッキーでしたね。冬になると3mもの雪が降る地域なので、もし寒い時期だったら大変だったと思います。

全壊した家屋

肌につける物資はなかなか入ってこない

自分なら防災ゆうストレージに何を入れるかというと、この付属の冊子のなかに書いてあるものすべてが大切なものだし、必要だなと思いますが、いちばん足りなかったものは、下着だとか自分の肌につけるものですね。そういう物資は、ある程度時間が経たないと入ってこなかったし、1週間くらいはお風呂に入れず、髪も洗えませんでした。簡易水道と言って、山から水を小学校まで引っ張ってきて使ったりしていました。もっとも、私たちの場合は、火災や津波ではなく地震だけだったので、家にものを取りに行ったりすることはできました。あとは、女性特有の用品や下着などは特に大事かなと思います。非常用のバッテリーや乾電池とか急遽必要になるものもあると思います。
それから電気。覚えているのは、東京の叔父が電気設備屋をやっていたので、発電機を送ってもらいました。大手の配送業者はなかなか送ってくれなかったのですが、ゆうパックにしたら、1週間かからず届きました。その発電機で家の灯をつけたりしました。郵便局からの配達も、5日くらいで届くようになったと記憶しています。
防災ゆうストレージは、預けたものが、どこの場所であろうと自分の手元に届くというのがポイントだと思います。我々は自宅から食料や衣料を持ち出すことができましたが、東日本大震災のように津波などが発生すると、そうはいきません。自宅とは違う避難先にも届けられるというのは、それだけで安心感があると思います。

家族の痕跡を探していた被災者たち

私は東北の震災のときも、緊急援助隊で石巻に入ったのですが、震災からある程度経ってから被災された方は、行方不明になられたご家族の痕跡を探していたのが印象的でした。写真などを見つけたらカゴの中に入れて集めておくと、被災者の方々が自分の家族のものがないかと探しにきました。そういう状況は、私たちの被災とは全く状況が違っていてショッキングでしたね。大切なものを別の場所に保管しておくというのも、大事なのかなと思います。

Vol.3
藤本 昭則さん

慣れない土地に避難して、
苦労したこと。

原発事故の影響で北海道へ移住

震災のとき、私は茨城県で家族とともに暮らしていました。大きな揺れのあとテレビを点けると、福島第一原子力発電所での事故が報道されていて、とても驚き、「隣の茨城も、このままでは危険だ」と不安になりました。3〜4日後、子どもを連れて北海道の親戚の家へ避難し、そのまま約1ヶ月、住まいが見つかるまでお世話になりました。
いくら身内といっても、自分の家ではないので気を使いますし、知らない地域での慣れない生活は大変でした。手元にあったものは、わずかな現金とハンカチくらい。いちばん困ったのは、生活用品の確保です。調味料、調理器具などと、下着、歯ブラシ、歯磨き粉、食器類、子どもが小さかったのでオムツも必要でした。現金を工面するのも苦労しました。当時は急いで避難したこともあり、通帳を忘れてしまい、銀行でお金を引き出すにも身元を証明できるものがなく、どうしようもなかった。被災地のまわりなら証明書がなくても郵便局でお金をおろせる制度があるらしいのですが、離れてしまうとそれが適用されないんです。当時、電子マネーは一般的ではなかったので、特に大変でした。

避難先にスーパーやコンビニがない場合も

もしもこれから私が「防災ゆうストレージ」を利用するとしたら、まずは衣類やウェットティッシュなどの生活用品を準備したいと思います。下着が替えられないこと、お風呂に毎日入れないことのストレスが強かったので、衛生面をケアできるものがほしいです。加えて、被災直後の夜は電気が使えず暗いので、バッテリーや携帯型の充電器、懐中電灯など、暗くても取り出せるよう保管することが大事だと思います。私のように地方に避難する可能性がある方は、住まいの近くにスーパーやコンビニがないかもしれない、お店はあっても電子マネーに対応していないかもしれない…と考えて、物資を準備することも重要ではないでしょうか。慣れない土地だと買いにいく場所もわからない可能性があるので、そういう心構えがあると心強いと思います。
また、災害時には自分の状況を家族や友人、取引先などにいち早く知らせることが大切です。私の場合、運良くパソコンが無事で住所録を確認できましたが、万が一に備えてクラウドサービスだけでなく、フラッシュメモリなどにデータをバックアップして保管しておくことも必要だと感じました。

避難所では、生ゴミを入れる容器が必要に

それと、防災ゆうストレージをゴミ箱として活用することもできそうです。避難所生活では生ゴミなど臭いもストレスだったと、知人から聞きました。蓋のある箱で密閉できると助かると思います。簡単な間仕切りや袋なども入れておいて、物資とごみを分ける準備もできると安心できると思います。

Vol.4
志賀 風夏さん

避難所に、
なかなか配給されないもの。

自分だけ自宅に居られる罪悪感

福島県で、高校1年のときに被災しました。当時、私は相馬市の祖母宅に居候しており、家族は原発被災地にいる川内村にいたのですが、道路がいきなり封鎖されたため、家族と会えるまで5日ほどかかりました。スーパーやコンビニに供給が追いつかず、1週間もすると食料品は不足し、長蛇の列になっていました。祖母宅は無事だったので、私はご飯も寝床もありましたが、自分たちだけいい場所にいることに罪悪感を抱き、毎日白米を炊いて、避難所にいる人々におにぎりを作っていきました。

体育館の様子

歯磨き粉や化粧水が使えないストレス

避難所の友人たちは、緊急事態とはいえ、きれいにできないことでストレスがたまるようでした。シャンプーできない、お風呂に入れない、化粧水もつけられない、歯磨きできる余裕がないだけで、衛生的にというよりは気持ち的につらくなったり。だから、もしも防災ゆうストレージを使うとしたら、そういういつも使っている細々したものを入れると思います。また、避難生活はストレスが溜まるので「お菓子が欲しい」と言っている友人もいました。炊き出しなどで食べるものはあっても、仕分けが間に合わないから甘いものなどはなかなか配布されないんです。あとは充電も譲り合ってしている状況だったので延長コードも入れておきたいですね。また、夜に本を読みたくても、周りに迷惑がかかるからとライトを使うこともできないから仕切りのようなものがあれば役立つと思います。

生理用品やペット用品はあとまわし

女性は、生理用ナプキンやピルなどの薬も備えておいた方がいいと思います。
そういうものの配給は後まわしになってしまうので。避難所に最初に送られてきたのは、布ナプキン。使い慣れていないので、戸惑っている女性も多かったです。
また、ペット用品もなかなか供給されないので、ペットのいる方は、苦労していました。
他の方への迷惑を考えて避難所ではなく車の中などで過ごしていた方が多かったので、ペットが入れる小さなボックスやケージがあるといいと思います。

二度と戻らない家族の写真

当時、被災した方々が困っていたのは、離れている親戚や友人へ連絡しようとしても、震災直後は携帯が使えず、番号がわからないこと。そんなときのためにアナログな連絡網を作っておくべきだと思いました。原発20km圏内である川内村は、8ヶ月ほど入れない状態で、連絡帳を取りに行くこともできなかったので。また、友人のなかには、被災した両親と会えず死に別れてしまい、写真や家族の思い出なども流されてしまったので別の場所に保管しておけばと後悔していた人もいました。他のものは買うことができても、思い出の品は取り返すことができないので、日頃から保管場所を考えておくべきかもしれません。

Vol.5
髙橋 吏佳さん

コンタクトや薬…
毎日使っているものを備える大切さ。

マットやカーテンを布団がわりに

宮城県南三陸町で被災。夫を失いましたが、3人の子どもは無事でした。被災直後は中学校に避難しましたが、自宅は一部損壊で済んだので、長期の避難所生活はしていません。当時3月だったこともあり、避難先の中学校では、体育で使うマットや教室のカーテンを、布団代わりにして寒さを凌ぎました。災害はいつ来るか予想できませんが、冬の寒さに備えるために毛布やタオルなどがあればよかったと思います。中学校に備蓄された食料はあったものの、想定を超えた災害だったので到底足りず、2〜3日後に自衛隊から配給があるまで、若い人たちはほとんど飲まず食わずで過ごしていました。

防災庁舎 被災後

電気・水道が使えず、山へ水を汲みにいく生活

その後、私は自宅に帰ることができましたが、電気や水道などの復旧に時間がかかったので、近所の湧き水で水を汲み、薪を取ってきて釜でご飯を炊くという生活が、1ヶ月以上続きました。自衛隊からの配給は避難所の方々が優先でしたが、徐々に物資をいただけるようになりました。やがて両親や親戚たちが自宅に避難してきて、一時期は15人くらいで暮らしていました。
1歳の甥っ子がいたのですが、おむつやミルクはたまたま買い置きしていたので、なんとか数日間は助かりました。もし自宅が残っていなければ、その備えも使うことができなかったと思います。
何かあった時、生活用品を外から届けていただく仕組みが当時あったら良かったと思います。

眼鏡や常備薬など、毎日使うものの備えが大切

私が防災ゆうストレージを使うとしたら、世代や性別によって必要なものと量が違うので、飲み物、食べ物、着替え、コンタクトなど、最低3日間は家族が生きていける分の物資は用意したいと思います。
わたし自身は、普段コンタクトを着けて生活しているので、替えのコンタクトや眼鏡を備えておきたい。年配の方だと、常備薬や入れ歯などがなくて困っていました。毎日使うものをストックしておくという感覚は、被災した人であっても時が経てば意識しなくなっていくものです。
だからこそ、ふだん準備をしておいて、もしもの時に備えておくことが大切だと感じています。