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日本郵便トップ > 「20世紀デザイン切手」シリーズ第8集・・・「ヘレン・ケラー女史初来日」から・・・・の発行

平成12年 3月 23日発行切手

「20世紀デザイン切手」シリーズ、第8集の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ第8集
・・・「ヘレン・ケラー女史初来日」から・・・・の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ
 郵政省では、我が国の20世紀を象徴し、21世紀へ向けて、夢と希望のある題材を、芸術、スポーツ、科学・技術、世相等の各種ジャンルに求めてシリーズ切手を発行します。 第8集として1937年から1940年までの題材9種類を1シート10枚構成 で発行します。
シート単価は、80円郵便切手8種類、50円郵便切手2種類の740円とします。

20世紀デザイン切手シリーズ第8集郵便切手

20世紀デザイン切手シリーズ
第8集郵便切手

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販売期間 平成12年3月23日(木)から
平成12年6月22日(木)まで
料 額

50円郵便切手及び80円郵便切手
(2)・(3)の神風号・ニッポン号飛行成功は50円郵便切手、
それ以外は 80円郵便切手

販売地域 全国の郵便局等にて販売
意匠

(1)ヘレン・ケラー女史初来日
(2)神風号・ニッポン号飛行成功
(3)神風号・ニッポン号飛行成功
(4)千人針・国民服・モンペ
(5)「路傍の石」山本有三
(6) 映画「愛染かつら」
(7) 横綱双葉山69連勝
(8) 沢村栄治投手の活躍
(9) 誰か故郷を想わざる
(10) 棟方志功の活躍

印面寸法 縦33.5mm×横25.0mm  (1)(4)(5)(6)(9)
縦36.5mm×横28.05mm (2)(3)
縦34.0mm×横25.0mm  (7)
縦34.0mm×横28.05mm (8)
縦34.2mm×横25.0mm  (10)
版式・刷色
グラビア6色
シート構成
10枚
50円郵便切手×2枚

80円郵便切手×8枚
総合
デザイン
森田 基治(郵政省・技芸官)

第8集の切手のデザインについて (敬称略)

  • ヘレン・ケラー女史初来日(1)
     1937年(昭和12年)ヘレン・ケラー女史が初来日しました。同女史は、生後19ヶ月で熱病のために目、耳及び言葉が不自由となりましたが、家庭教師のアン・サリヴァン女史とともにそのハンディキャップを克服し、障害を持つ人々に希望を与えました。日本へは合計3度訪れ、障害者の福祉向上のために全国を回りました。
    (写真提供:東京ヘレン・ケラー協会)

  • 神風号・ニッポン号飛行成功 (2)(3)
     1937年(昭和12年)朝日新聞社所属の純国産機「神風号」は、東京(立川飛行場)~ロンドン(クロイドン飛行場)間で、全飛行距離1万5,357kmを実飛行時間51時間19分23秒で飛行しました。
     また、1939年(昭和14年)には、毎日新聞社所属の純国産双発輸送機「ニッポン号」は、羽田空港から東回りで5大陸20カ国を所要日数56日、実飛行時間194時間で回る世界一周飛行の壮挙を遂げました。
    (写真提供:朝日新聞社・毎日新聞社)

  • 千人針・国民服・モンペ(4)
     1937年(昭和12年)には、出征する兵士の無事を祈り、千人の女性が一人一針ずつ縫う布「千人針」が多く作られ、街頭で協力を請う女性たちの姿が見られるようになりました。1940年(昭和15年)には、国民服令により「国民服」が戦時下の男性用服装として制定されました。また、女性用防空服装として「モンペ」が普及しました。
    (資料提供:朝日新聞社)

  • 「路傍の石」山本有三(5)
     1937年(昭和12年)作家山本有三の小説「路傍の石」が、新聞に連載され、逆境を跳ね返して生きる少年像が好評を呼びました。その後、新聞から雑誌へと連載の場を移し、最初から書き直されますが、未完のまま1941年(昭和16年)8月に「新篇 路傍の石」が刊行されました。
    (資料提供:三鷹市山本有三記念館)

  • 映画「愛染かつら」(6)
     1938年(昭和13年)川口松太郎原作、田中絹代・上原謙共演の映画「愛染かつら」が公開されました。この映画はあらゆる困難を乗り越えてゆく二人のメロドラマで、爆発的な人気を集め、レコード売上げ120万枚を記録した主題歌「旅の夜風」とともに、人々の心に潤いと安らぎを与えました。
    (資料提供:松竹(株))

  • 横綱双葉山69連勝(7)
     1939年(昭和14年)第35代横綱双葉山が69連勝の偉業を達成しました。1936年(昭和11年)東前頭三枚目で迎えた春場所七日目からの連勝で、これを止めたのは、後に横綱となる安芸ノ海でした。双葉山は、生涯成績276勝68敗1引き分け、その間、優勝12回(全勝優勝8回)の記録を残し、双葉山時代を築きました。
    (資料提供:日本相撲協会・(株)ベースボールマガジン社)

  • 沢村栄治投手の活躍 (8)
     沢村栄治投手は、柔軟で華麗な投球フォームから繰り出す快速球と大きく落ちるカーブとで草創期の日本プロ野球を代表する投手となりました。同投手は、最優秀選手、最優秀勝率、最優秀防御率などのタイトルを獲得し、1940年(昭和15年)には、3度目のノーヒット・ノーランを達成するなど大活躍しました。その後、投手としての功績がたたえられ、沢村賞が設けられました。
    (写真提供:野球体育博物館)

  • 誰か故郷を想わざる (9)
     1940年(昭和15年)作詩を西條八十、作曲を古賀政男が手がけた「誰か故郷を想わざる」が霧島昇の歌でレコード化され、大ヒットしました。切々と故郷への想いを歌ったこの曲は、海外の戦地へ赴いた兵士たちから圧倒的な支持を受け、その後国内でも流行しました。
    (資料提供:古賀政男音楽文化振興財団)

  • 棟方志功の活躍 (10)
     板画家棟方志功は、版画は板のいのちを彫り起こすことという考えから「板画」と書き表し、その信念をもって大胆率直に表現した傑作を次々と生み出しました。棟方志功の作品は、普遍的人間感情の表出として国際的にも高い評価を受けています。
    (資料提供:棟方板画館)

    シート余白部分  
    沢村栄治投手
    (写真提供:野球体育博物館)