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日本郵便トップ > 「20世紀デザイン切手」シリーズ第7集・・・「大言海」から・・・の発行

平成12年 2月 23日発行切手

「20世紀デザイン切手」シリーズ、第7集の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ第7集
・・・「大言海」から・・・の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ
 郵政省では、我が国の20世紀を象徴し、21世紀へ向けて、夢と希望のある題材を、芸術、スポーツ、科学・技術、世相等の各種ジャンルに求めてシリーズ切手を発行します。 第7集として1932年から1936年までの題材8種類を1シート10枚構成で発行します。
シート単価は、80円郵便切手8種類、50円郵便切手2種類の740円とします。

20世紀デザイン切手シリーズ第7集郵便切手

20世紀デザイン切手シリーズ
第7集郵便切手

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販売期間 平成12年2月23日(水)から
平成12年5月22日(月)まで
料 額50円郵便切手及び80円郵便切手
(8)・(9)の蒸気機関車D51登場は50円郵便切手、
それ以外は 80円郵便切手
販売地域 全国の郵便局等にて販売
意匠

(1)「大言海」大槻文彦
(2)東京音頭
(3)エノケン一座
(4)プロ野球結成
(5)プロ野球結成
(6)忠犬ハチ公
(7)「宮本武蔵」吉川英治
(8)蒸気機関車D51登場
(9)蒸気機関車D51登場
10)リュウキュウカラスバト

印面寸法 縦33.5mm×横25.0mm  (1)(2)(3)
縦33.5mm×横28.05mm (6)(7)
縦36.5mm×横28.05mm (4)(5)(8)(9)
縦34.8mm×横28.05mm (10)
版式・刷色
グラビア6色
シート構成
各10枚
50円郵便切手×2枚

80円郵便切手×8枚
総合
デザイン
森田 基治(郵政省・技芸官)

第7集の切手のデザインについて (敬称略)

  • 「大言海」大槻文彦(1)
     国語辞書「大言海」は、国語学者大槻文彦が編んだ「日本辞書ことばのうみ(言海)」の増補改訂版として、1932年(昭和7年)に第1巻が刊行されました。
    大槻文彦は稿半ばで死去しますが、遺稿を兄の大槻如電が引き継ぎ、全4巻が完結しました。「大言海」は、その後の国語辞書の範となりました。
    (資料提供:冨山房)

  • 東京音頭 (2)
     1933年(昭和8年)、作詞を西条八十、作曲を中山晋平が手がけた「東京音頭」が発表されました。この曲は、前年に発表された「丸の内音頭」の旋律と「小原節」の前奏を用い、発展を続ける昭和初期の東京を唄で描いて大ヒットしました。
    (資料提供:中山晋平記念館)
    (発行:シンコーミュージック(株))

  • エノケン一座 (3)
     1929年(昭和4年)、榎本健一は浅草で劇団「カジノ・フォーリー」の旗揚げに参加し、軽快な動きと愛きょうある表情で一躍人気者となり「エノケン」の愛称で親しまれました。1932年(昭和7年)には、一座の名称を「エノケン一座」と改称、映画や舞台で活躍し、エノケンは日本の喜劇王と呼ばれました。
    (写真提供:(株)マツダ映画社)

  • プロ野球結成(4)(5)
     1934年(昭和9年)、第2回日米野球の全日本チームを母体として、大日本東京野球倶楽部が結成され、翌年には米国遠征を果たしました。大阪タイガースは1935年(昭和10年)に、名古屋、東京セネタース、阪急、大東京、名古屋金鯱は1936年(昭和11年)に誕生し、7チームによって日本職業野球連盟が創立され、初のペナントレースが開催されました。
    (資料提供:野球体育博物館)
    (写真提供:読売新聞社)

  • 忠犬ハチ公(6)
     忠犬ハチ公は、飼い主である東京帝国大学の上野英三郎博士の帰りを駅に毎日迎えに行っていたが、博士が急逝した後も改札口で待ち続けているという記事が「いとしや老犬物語-今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」と題して新聞に掲載されたことで、一躍人気者となりました。1934年(昭和9年)には、東京・渋谷駅前に帝展審査員の安藤照が制作した銅像が建立されました。現在の銅像は1948年(昭和23年)に再建されたものです。
    (資料提供:渋谷区立白根記念郷土文化館)
    (資料提供:忠犬ハチ公銅像維持会)
    (写真提供:共同通信社)

  • 「宮本武蔵」吉川英治(7)
     作家吉川英治による「宮本武蔵」は、新聞連載小説として1935年(昭和10年)から始まりました。回を重ねるごとに人気が高まり、当初200回完結の予定が、途中7ヶ月の休載をはさんで、1939年(昭和14年)まで1,013回に及びました。 連載をまとめた単行本は1936年(昭和11年)から刊行されました。
    (資料提供:吉川英治記念館)

  • 蒸気機関車D51登場(8)、(9)
     1936年(昭和11年)からD51形蒸気機関車の製造が始まりました。D51は、輸送量の増大に応えるために開発されたもので、日本の代表的蒸気機関車として、1945年(昭和20年)までに我が国最多の1,115両が製造され、「デゴイチ」の愛称で親しまれました。
    (写真撮影者:西尾克三郎氏)

  • リュウキュウカラスバト (10)
     リュウキュウカラスバト(学名Columba Jouyi)は、沖縄諸島、北大東島、南大東島の森林に生息していましたが、1936年(昭和11年)の南大東島での採集記録以後、記録が無いため、絶滅したと考えられています。原因として、生息地の森林が開拓により少なくなったことや、カラスバトよりも大きいため捕獲しやすかったためと言われています。
    (資料提供:山階鳥類研究所)


    シート余白部分  
    雪原を走るD51
    (写真撮影者:広田尚敬氏)