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日本郵便トップ > 「20世紀デザイン切手」シリーズ第4集…「箱根駅伝始まる」から…の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ、第4集の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ第4集
・・「箱根駅伝始まる」から・・ の発行

「20世紀デザイン切手」シリーズ
 郵政省では、我が国の20世紀を象徴し、21世紀へ向けて、夢と希望のある題材を、芸術、スポーツ、科学・技術、世相等の各種ジャンルに求めてシリーズ切手を発行します。 第4集として1920年から1925年までの題材9種類を1シート10枚構成 で発行します。
シート単価は、80円郵便切手8種類、50円郵便切手2種類の740円とします。

20世紀デザイン切手シリーズ第4集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ第1集郵便切手
20世紀デザイン切手シリーズ
第4集郵便切手

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販売期間 平成11年12月22日(水)から
平成12年3月21日(火)まで
料 額50円郵便切手及び80円郵便切手
(8)・(9)の無声映画全盛は50円郵便切手、
それ以外は80円郵 便切手
販売地域 全国の郵便局等にて販売
意 匠

(1)箱根駅伝始まる
(2)ゴンドラの唄
(3)関東大震災
(4)マンガ「のんきなトウサン」
(5)マンガ「正チャンの冒険」
(6)タンチョウ
(7)甲子園球場開場
(8)無声映画全盛
(9)無声映画全盛
10)モダンボーイ・モダンガール

印面寸法 縦36.5mm×横28.05mm
版式・刷色
グラビア6色
シート構成
各10枚
50円郵便切手×2枚

80円郵便切手×8枚
総合
デザイン
森田 基治(郵政省・技芸官)

第4集の切手のデザインについて (敬称略)

  • 箱根駅伝始まる(1)
     1920年(大正9年)2月14、15の両日、「第一回東京箱根間往復大学駅伝競走」(現在通称:箱根駅伝)が開催されました。この時の参加は東京高等師範、明治、早稲田、慶応の4校であったことから、当時の大会名は「四大校駅伝競走」で、東京高等師範が15時間5分16秒という記録で優勝しました。
    (写真資料提供:(株)陸上競技社)

  • ゴンドラの唄 (2)
     芸術座第5回公演「その前夜」の劇中歌として、作詞(「命短し恋せよ乙女~」)を 吉井勇、作曲を中山晋平が手がけたこの曲は、叙情的な歌詞と哀調を帯びた旋律でヒットしました。また、レコード化されたことから蓄音機の普及とも重なって1920年(大正9年)に大流行し、大正時代を代表するメロディーとなりました。
    (資料提供:中山晋平記念館)
    (JASRAC 出 9913312-901)

  • 関東大震災 (3)
     1923年(大正12年)9月1日、関東地方を襲った大震災。震源地は相模湾の伊豆沖約30kmで、震源の深さ15km、マグニチュードは推定7.9と言われています。家屋の倒壊に加えて、各所で火災が発生したこともあり、死者・行方不明者14万人以 上、全壊・流出・全焼家屋は50数万戸以上にのぼる未曾有の大災害となりました。
    (写真提供:共同通信社)

  • マンガ「のんきなトウサン」(4)
     1923年(大正12年)、新聞連載漫画として「のんきなトウサン」は始まりまし た。新聞社の漫画記者だった原作者・麻生豊が「関東大震災の被災者の心を慰め、社会を明るくするような漫画を」という社命に応え、連載が始まったもので、現在の新聞の4コマ漫画のスタイルを確立しました。
    (資料提供:麻生豊画伯「のんきなトウサン」資料館)

  • マンガ「正チャンの冒険」(5)
     1923年(大正12年)に新聞連載が始まった「正チャンの冒険」は、少年がリス をお供に従え、陸海空を駆けめぐる冒険ファンタジー漫画です。織田小星(信恒)作、 東風人(樺島勝一)画の作品で、主人公の少年がかぶっている帽子が「正チャン帽」と呼ばれて流行するほどの大人気となりました。
    (資料提供:川崎市市民ミュージアム)

  • タンチョウ(6)
     赤い頭頂部が特徴のタンチョウは、明治期に入ってからの濫獲等により、一時期は絶滅したと考えられていました。しかし、1924年(大正13年)釧路湿原にわずかながら生息が確認されたため、生息地が禁猟区に指定されました。1952年(昭和27年)特別天然記念物に指定され、現在は約700羽の個体が確認されています。
    (協力:環境庁・文化庁)

  • 甲子園球場開場(7)
     1924年(大正13年)、アメリカのヤンキースタジアムなどを参考にして、第10回全国中等学校優勝野球大会に間に合うように建設され、この年のえとにちなんで甲子園大運動場と名付けられました。打ち放しの外壁に絡ませたツタは、現在では阪神甲子園球場の象徴になっています。
    (写真提供:朝日新聞社)
    (写真資料提供:阪神電気鉄道(株))

  • 無声映画全盛(8)、(9)
     1925年(大正14年)頃、欧米の風俗が盛んに移入される中で、弁士や伴奏音楽 付きの活動写真(無声映画)が人気を集めました。尾上松之助、阪東妻三郎ら映画スターが誕生し、その後の日本映画の基礎が形成されました。
    (写真提供:マツダ映画社)

  • モダンボーイ・モダンガール(10)
     大正の終わりから昭和初期にかけて、欧米の風俗や文化に魅せられたモダンボーイ・モダンガールと呼ばれる若者が登場しました。女性は断髪に洋装、男性は山高帽にロイドめがね、裾の広いズボンが流行の最先端となりました。これらはその後の昭和のファッションベースとなっていきました。
    (写真提供:朝日新聞社)


    シート余白部分  
    版画「銀座風景」(部分)
    (昭和2年資生堂発行の「御婦人手帳」に掲載された版画)
    (資料提供:資生堂企業資料館